お侍様 小劇場 extra

     “春陽花闇” 〜寵猫抄より
 


        



 大阪で遅咲きの八重桜を中心とした“造幣局のとおり抜け”が始まるころともなれば。関東地方ではそろそろ桜も幕となり、梢には緑が萌え始め。そんな頭上と入れ替えか、視野の下方、植え込みなぞで、赤紫や白に緋色のつつじがお目見え。いよいよ春も盛りを迎えたとあって、

 「いくら何でも もうコタツはないでしょう。」
 「…む。」
 「にぃあ〜〜。」

 初夏並みに天気がよかった数日のうち、掛けてた布団を干し出しておいた七郎次。家人二人が まだ少々、名残り惜しそうにしていたけれど、そのままてきぱきと やぐらを畳むと、リビングからの撤去を唐突に敢行してしまった。
「何だか足元がすうすうせぬか。」
「最初はしようがありませんて。」
 ですが、ああいうものはそもそも、季節の変わり目に合わせて出したり仕舞ったりするものでしょう? シリーズで時代もののお話も書いている島田せんせいならば、素人な人間が言い出すまでもなく御存知なはずと、そんな裏書、匂わせるよな言い回しをするあたりが、さすがは“辣腕秘書殿”であったものの。

 「みぁん?」

 コタツを置いていたがため、少しほどズラしていたソファーセットを、元の位置へと戻しかけたところ。その身を丸め、ちょこりと座り込んでの、小さなお手々をぺたりと広げて。コタツがあった位置の床、撫で撫でしている幼子の姿へは、

 「う…。////////」

 さすがに多少は胸を衝かれたか、さぁさ退いた退いたと運べず、困っていたのが、何とも彼らしい反応で。どうしましょうかとの視線を向けられるその前に、勘兵衛もまた くるりと後ろを向いてしまい、その大きな背の陰で、苦笑を押し隠してしまったほど。とはいえ、お顔は見えずとも長い蓬髪の震えでどんな表情かは何となく知れて、

 「…勘兵衛様。」
 「さてな。ここは心を鬼にしてでも情緒を優先するのではなかったか?」
 「うう……。///////」

 勘兵衛様のいけず…と、恨みがましげなお顔になりつつも、そこは“侍に二言なし”ということか。
「久蔵。」
「みゅう…。」
 そちらさんもまた、赤い双眸たわませて、ちょっぴり困ったようなお顔になっていたおチビさん。ああ、このお顔には覚えがあるぞと、淡色のシャツ越し、自分の胸元を白い手で押さえつつ。座り込んでる小さな仔猫の傍らへお膝を落として同じように座り込んだ七郎次。彼らには幼い坊やに見える久蔵を、そおと両手で抱き上げて、お膝の上へとかかえ上げると、

 「コタツさんはね? クリスマスのツリーと同んなじところに帰っただけですよ。」

  ………はい?

 少し離れて聞いていた勘兵衛もまた、おいおいと言わんばかりに、その頼もしい肩の上、かくりと小首を傾げたのは言うまでもなかったが、

 「にぁん?」

 久蔵の側ではそんな様子は見られなくって。まだまだ丸みの強い、いたいけない双眸を瞬かせる様は、それって本当?と訊き返しているかのよう。それへと“ええ”と頷いた七郎次、

 「次の冬になったら出してあげますからね?」

 勘兵衛へは後に告げられた話になるが、実はツリーを片付けるときにも、久蔵ってば同じようなお顔をしたんですよと。さすがは一番お世話をしている身なればこそ、一枚上手な言いようをし、一本取ってしまった金髪美形の秘書殿で。愛しい伴侶だ、困ってしまうのが嬉しいというのじゃなかったけれど、可愛げのない態度を取ったが故の思わぬ“しっぺ返し”を、さあどうするかと眺めておれば、困り顔をしながらも こうまで美味しいところを持ってこうとは。

 “…う〜ん。”

 ちょこっと思惑が外れたらしい島田せんせいではあったが、かあいらしい家人二人が慰め合うよに寄り添う様には勝てなくて。しようがないかと どこかしょっぱそうに苦笑なさったそうである。




    ◇◇◇



 そんなこんなも相変わらずな、家人みんなが仲のいい島田さんチ。稼ぎ頭で世帯主の勘兵衛先生におかれましては、馴染みにしている月刊誌への連載がこの春から始まったものの、前以ての打ち合わせもあっての書き溜めが相当量あったので。それへの執筆にも余裕であたっておいで。掲載するときに添えられる、挿絵を担当するイラストレイターの方へ、先行して原稿を回さねばならない段取りを考慮しても、半年先までの分を既に編集さんへと渡してあるほどのノリの良さであるらしく。

 『あれですかね。新しいお仲間の、猫の使い魔さんの御利益だとか。』

 邪妖封じを生業にする侍の活劇譚は、可愛らしい仔猫が加わったことで、展開の中に柔らかなやり取りが増えたせいだろか、女性層の読者からの人気が急に厚みを増してもおり。ファンレターの中には、自己流のそれだろう、可憐であったり妖冶だったりと、様々な猫のイラストを描いて寄越す人も増えたという。そんなお便りを編集部から持ち込んだ林田くんの手元を覗いて、

 『にゅうぅ?』

 何だこれ?と言いたげに、ひょこり小首を傾げていた久蔵だったの思い出し、

 「〜〜〜〜〜。////////」

 当人が間近にいるってのに、とうとう思い出し笑いでも“惚れてまう”が発動されるようになった七郎次さん。朝食に使った食器を洗い上げると、大窓から庭先をちょいと覗いて、風にたなびく洗濯物を確認し。うんうん・よしよしと異状が無いことへ何度か頷いてから、

 「久蔵、遊ぼうか。」
 「にゃんvv」

 現在進行中の連載とは別口の、やはり月刊誌に書いておいでのシリーズものへの、何かしらプロットが沸いたそうなので。それを書き下ろしにと書斎へ入ってった勘兵衛が、出て来るのは…いつになるやら。切れっ端程度の思いつきでも、興が乗ったらそのまま、短期連載に使えそうなほどもの尺を、一気に書き上げてしまわれることもザラなお人で。その集中力は並大抵なものじゃあないのは、重々承知の七郎次としては、

 “お昼ご飯を運びがてら、様子見しておきますか。”

 邪魔をしてもいいテンションの集中かどうか、中断させてはいけないノリかどうか、そのあたりへの舵取りも手慣れたものなので。それまではそっとしておこうと切り替えてのこと。リビングの一角、仔猫のおもちゃ入れになっている、籐筒のラックの方へと足を運べば。

 「みゃあ♪」

 おコタを取り上げられたこともどこへやら。満面の笑みとなった坊やが、七郎次の長い御々脚へとまとわりつくようにしてのとたとたと、遊ぼう遊ぼうvvと はしゃいで見せる。寸の足らないあんよが とたんとたんと刻む、スキップの出来損ないに乗せ。ふわんふわんと金の綿毛が軽やかに撥ねる様とか。こちらを見上げて見せてから、今更のように含羞んでだろうか、それとも まだちょっとは怒ってるんだからとばかりか。む〜〜っと口許を一文字に噛み締めてしまう、そんな愛らしいお顔をして見せるところとか。あああ、どこを取っても可愛いったらと、込み上げる笑みへ胸元を押さえてしまう。こちら様もなかなかの美貌を誰からだって認められよう、掛け値なしの美丈夫な、七郎次お兄さんだったのだけれど。

 「……?」

 そんな端正なお顔が、ふと…何にか気づいたように強ばると、それまで浮かべていた柔らかな表情を掻き消してしまい。あとちょっとという手前、ソファーの傍らで足を止めまでしてしまう。

 「にゃ?」

 ちょこまかとした歩調の久蔵と同着になるようにという、そんな歩調だったものが いきなり止まったのみならず。何だか…不審な気配もしたのへ、先行しかかっていた仔猫の坊やが おややと気づく。遊ぶのと盛り上がってた気分へも翳りを齎したような、そんな寒々しい何かの気配がしたからで。くしゃみでも出そうなのかなと、そんな程度の想いから、お顔を上げた坊やだったが、

 「…っ。」

 それとほとんど同時の間合い、すぐ傍らへどんと乱暴に膝を落とし、手までも床へ突いた七郎次であり。片やの手は自分で自分の胸元を…押さえるというよりも鷲掴みにしているという観があるほど、指を節立たせてのシャツごと強く、ぎゅうと掴みしめている彼だったので。

 「にゃあっ!」

 間近になったお顔が青い。吐く息もつらそうだし、痛みか重さか、何かにぎゅうと締め上げられてでもいるような、そんな苦しさに襲われたらしく、何とかやり過ごそうとしている我慢が、されど傍からは痛々しすぎて耐え切れず、

 「にゃあ、にゃ…みゃあっ!」

 どうしたのと訊けない我が身が口惜しいか、小さな手を腕へと添えて、しきりと呼びかけていたけれど。それも届かずの、こちらを向いてくれない七郎次だと気づいた久蔵。恐れるようにじりじり離れると、だが、怖がっていたわけではなくての次の行動。リビングから外へ出る戸口へ向かってく。覚束ない足取りを時々もつれさせては、曲がり角ではつるりとすべったり とたんと転んだりを重ねつつ。仔猫にはずんと長い長いお廊下を駆けて駆けて。よくよく磨かれた床板に爪を取られては、お顔から転げてしまっても。一切めげずに駆け通して。

 「にゃあっ!」

 辿り着いたは書斎の扉。大事な資料を所蔵した部屋だからということもあっての、分厚いドアに壁という作りで。日頃、久蔵が遊んでもらってどれほどはしゃいでも、騒がしい声としては届かないほどの防音性に富んでいるそれではあったが。そんなことまで坊やは知らない。彼が知るのは、此処に勘兵衛がいるということのみであり、

 「にあっ、にゃあっ、にぃあっ!!」

 此処を開けてと、出て来てと、ただただ必死で叫ぶばかり。小さな声では聞こえぬか、そうと思っての必死での叫び、されど なかなか通りはしない。

 「みゃあっ、にぃあっ、にゃあぁっ!!」

 しまいには後足で立ってまでしてドアへとすがり、坊やの姿での小さな拳、何度も何度も打ちつけて。出て来て、早く、シチが大変と、泣き出しそうにお顔を歪めて、叫び続けた甲斐があったか、

 「………久蔵?」

 ただならない騒ぎに、原稿へと集中していたはずの勘兵衛が気づいたらしく。それでも、随分とのんびりしたお顔で出て来たそれへ、

 「…っ、痛っ。何だどうしたっ。」

 小さな体で向こう脛へとむしゃぶりついて、四肢の爪全部と牙とをがつりと立ててた久蔵で。もうもう どうしていいやら判らなくって、ただ“緊急だ”と伝えたいがための行動へ。日頃の大人しさとのこの落差、さすがに尋常じゃあないと気づいた勘兵衛、

 「…七郎次がどうかしたのか?」

 片膝立てての屈み込むと、小さな猛獣さんをその手で引き剥がし、興奮状態のまま、う"〜・ふ〜っと唸ってさえいる幼子へ訊いてやる。すると、

 「みぃあっ。」

 それまでは興奮もあってか鋭く尖っていた赤い双眸が、七郎次と聞いたその途端、見る見る潤んでしまったのが、そうだという何よりも確かな肯定で。素早くそれらを感じ取った勘兵衛、そのまま立ち上がってリビングへと急ぐ。抱えたままの久蔵が、鳴かなくなったのへも気づかぬまま、辿り着いた明るい居間では、最初、あまりの穏やかな空間に意表を突かれたほどの勘兵衛だったが、

 「にゃっ!」

 その腕から飛び降りて、たたたっと。仔猫の姿での一目散に、窓辺目がけて駆け出した久蔵なのへ誘導されたようなもの。視線をそちらへ向けたのとほぼ同時のこと、信じがたい光景へと息が詰まる。

 「…七郎次?」

 単なる昏倒じゃあなく、よほどに苦しかったからだろう。白い手の甲へ深々と筋を立てて指を曲げ。自分の胸元、抉り取りたいかのように掴んだまま、端正なお顔をつらそうに曇らせて。勘兵衛にとってのこの世で最も大切な存在が、声もないまま倒れ伏していたのである。






        ◇◇◇



 すっかりと昏倒しきって意識のなかった七郎次だったが、それが一体どんな負担になるだろか。手際もよければ、相手への負荷も全く無しという頼もしさ。屈み込んだそのまま、次の動作で立ち上がったその双腕へ軽々と、愛しい肢体を懐ろへまで、すんなりと抱え上げた勘兵衛であり。そのまま寝室へと運び入れ、大慌てでどこへか連絡を取ったのち、黒いカバンを1つ提げ、車で駆けつけたのが、白衣姿の初老の男性。足元でおろおろしている小さな仔猫へ“おや”という眸を向けておれば、腕を引かれるようにして患者の元へと引っ立てられて。顔色の悪いまま、寝床に横たえられている七郎次の姿には、さすがに意外だったか息を飲んだ彼だったものの、一通りの診断が済んでのちの所見はといえば、

 「…特にどこがどうという症状はないのだがの。」
 「現にこうまで苦しげに消耗しているのにか?」

 確かに、そっちの症状が出ちゃあいるが、その要因が拾えぬと言っておるのだと。島田家にずっと付き合いのあるという掛かり付けの医師殿が、そちらさんも遠慮斟酌のない口利きで、勘兵衛へと言い返し、

 「熱もなければ汗もかいてはいないし、逆に悪寒がするという様子でもなし。
  風邪や花粉症ならばという状態や反応も一切ないからの。」

 表情は硬いし、何度かに一度くらいの割合で呼吸がつらそうではあるけれど。内診にて肺の声を聞く限りでは、気管支炎というほどの症状じゃ無し。喉や鼻孔、目の粘膜にも、炎症やアレルギー反応は無しと来て。インフルエンザなら、血液検査等の反応待ちになるので、やはり今すぐという所見は出せぬと、歯に衣着せぬお言いようをなさってから、
「特別 変わったものでも食べたとか。」
「同じ朝食を食べただけだし、何かしら間食するにはまだ早い。」
 依然として腑に落ちないまま、険しい顔を崩さぬ勘兵衛へ、

 「となると。過労という線もあるのだが、心当たりは…ありすぎるかの?」
 「う…。」

 付き合いが長いだけのことはあり、いい年をした勘兵衛が、だのに嫁ももらわぬまま、身の回りの一切合切をこの青年に任せ切りにしていることまで、重々 承知な初老の医師殿。ちろんという視線を投げた先、図星だったか、言葉に詰まった勘兵衛だったのへ、
「七郎次殿も武道を納めた身とは言え、あんまり過信するものじゃあない。」
 殊に季節の変わり目は、気温の変化が目まぐるしいのに、ちょっと寒気がするがまま冬ほどじゃあなしと油断をしてしまってのこと、少しずつの油断を積み重ねた結果なのかも知れんでの、と。先達としてのありがたいお言葉をくださって。

 「ともかく。今すぐどうこうという危険は無さそうだ。」

が、だからと言って、すっかりと安堵して放置していいことでもない。気丈なお人が、その身へ蓄積した疲労、隠し通せなくなって倒れた…となると、安静にしていても改善しないならそれなりの対処も要る。つまりは様子見をした方がいいというのが、今のところの結論だそうで。横になったことで少しは容体が落ち着いたものか、すうすうという寝息も穏やかな、深い眠りについている七郎次だったの見届けて。ここは静かにさせておこうやと、医師殿の側が勘兵衛を促すようにして、連れ立って部屋を後にしかけた彼らであり。

 「…まあ、あんな可愛いのを手元に置いてるとこ見ると、
  さほど切羽詰まってもなかったらしいがの。」

 余裕がなければ世話など出来ぬ。片手間で構うことがどっちにも不幸と判っていよう、感情と理性のバランスも何とか取れてた青年だから。それが、ネコの側からもああまで慕われるほど可愛がっていたのなら…と。閉ざされたドアへ、後足で立ってまでしてのかりかりと引っ掻く仔猫を指して、そんな言いようなさった医師殿であり。

 「久蔵。」

 こちら様は途中から ついついすっかりと忘れていたらしい勘兵衛が、傍らへ引き返し、これと叱りつつ、その手のひらの中へと掬い上げ。今度こそはとの皆して、リビングの方へと揃って立ち去ってゆく。洋館仕立ての風変わりな館の、こちらは洋間が続く棟なれど。間口の広いお廊下には、小窓もところどこに据えられており。その窓の向こう、庭先の一景の中、夏場には涼しげな木陰を落とすのだろスズカケの梢に、まだ幼い青葉がちょみっとお顔を覗かせている。風でも吹いたか、それがゆらんと揺れたのへ、


  《 …………。》


 仔猫の赤い双眸が金色がかった光りようをしたけれど。気づいた人物はあいにくと誰もいなかった……。




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